後醍醐天皇による建武の新政、足利尊氏による室町幕府の開設に功のあった赤松則祐が文和年間(1352〜56)に築城。孫の師頼、頼康、則親、満親、親茂
と受け継がれて、嘉吉の乱で赤松氏は一度、滅んでしまった。その後赤松氏を 再興した政則が文明元年(1469)に修築し、一族の宇野氏をもって守らしめた。
しかし、天正8年(1580)下総守政頼の代に、織田信長の
命を受けて中国平定を すすめる羽柴秀吉軍が長水城へも来攻。その武将、蜂須賀軍の攻撃により篠の
丸城と前後して5月10日にあえなく落城、200余年の歴史に幕を閉じた。現在 は山頂に石垣が残るのみである。
時代を見透す目って本当に難しいんですね。
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